−冬鳥のアイドル−

ジョウビタキ


冬鳥のアイドル的存在が、ジョウビタキです。日光でも冬によく見られる鳥のひとつです。だいたい11月頃から4月まで、日光に滞在しています。大雪が降ったりすると数が少なくなるときもありますが、探せば見つけることができるでしょう。
 秋、渡ってきたばかりの時は中禅寺湖のほとりなど、標高の高い地域でも見られますが、よく見られるのは日光の下のほう市街地の周辺です。この鳥は、開けた環境が好きなので、森ならば明るい雑木林、そして林より農耕地や住宅地で見られます。ですから、小倉山周辺や鳴沢にかかる白ヶ石橋周辺も多いところで、この住宅地を100m歩けば、1羽は出会います。さらに、大谷川の河原もジョウビタキの多いところです。
 河原は障害物も少なく開け、さらにこの鳥は杭の上、灌木のてっぺんなど目立つところにとまりますから、姿も見つけやすく観察するのが楽な環境です。


 ただし、この鳥は群でいることはありません。雌雄で2羽でいるのを見たことがありますが、これも多くありません。たいがいは、単独で生活しています。それぞれ1羽ずつなわばりを持って生活しています。渡ってきたばかりのころ、日光植物園でなわばりを確保する戦いを見たことがことがあります。2羽の雄が平行して「カッカッ」「ヒッヒッ」と鳴きながら移動していき、相手の領域は入らないのです。ぶつかり合うこともなく、鳴き合い移動することでなわばりが決まっていくようでした。
また、大谷川の河原にあるカーブミラーに執拗にまとわりつくジョウビタキを見た人がいます。ジョウビタキは、鏡に映る己の姿を敵だと思って、なんとか追い払おうとする行動です。これも、なわばりを守ろうとする意識の強さが、こんな奇妙な行動をとらせるのです。
 不思議といえば、日光と東京ではジョウビタキの雌雄に比率が大きく違うのです。私の東京のフィールド、六義園にも1羽か2羽のジョウビタキが毎年、同じように越冬していきます。六義園では20年近く、観察を続けていますが、雄が一冬いたのは1回くらいです。また、都内の他の公園、たとえば明治神宮や水元公園で出会うジョウビタキも雌が多い傾向にあります。


 日光では、たとえば小倉山を2時間ほどバードウォッチングをして歩くと、5、6羽のジョウビタキに会います。このほとんどが雄なのです。雌には会っても5羽に1羽程度です。
 日光の方が東京の公園に比べると、ジョウビタキの生息密度が高いので、この鳥にとって日光のほうが生息地として適しているように思えます。モズは、雄がよい場所を確保して雌は隅の方でなわばりを作るといわれています。ジョウビタキもモズと同じならば、条件のよい日光など自然の豊かな場所を雄がなわばりを構えてしまうので、しょうがなく弱い雌が東京など条件の悪いところで一冬過ごしているということになります。
 それともヒートアイランド現象で暖かい都会のほうがジョウビタキにとって住み易く、強い雌が暖かい東京で冬を過ごし、雄は寒い日光にいるのかもしれません。
 ジョウビタキの鳴き声は「ヒッヒッ」あるいは「カッカッ」と聞こえる単純ものです。この声を、火打ち石を叩く音にたとえヒタキの名前に由来になったと言われています。キビタキやサメビタキなど、多くの鳥にヒタキという名前が付いていますが、この語源説が正しいとするならば、ヒタキの元祖はジョウビタキということになります。


 ときにジョウビタキの地鳴き以外の声を聞くことがあります。この声はいつも聞く単純な地鳴きとは、まったく異なります。はじめは、何が鳴いているのかわからずそうとう悩みました。姿を探すと住宅のTVアンテナの上にとまって鳴いているジョウビタキを見つけました。場所は稲荷川下流域の別荘地。3月のまだ寒い頃ですが、木の芽が膨らんでいたり、もっとも早い花の開花、コウゾウの花が咲く頃です。
声の質は柔らかく、節には抑揚があるものです。ラジオのチューニングのように調子が外れたり、ときに濁った声を交える複雑なものでした。
野鳥の声の第一人者、蒲谷鶴彦先生が繁殖地の韓国やシベリヤで聞いたさえずりは「チューイチョチョ、チュリイチョチョ」や「フィリーチィチィチョ、チョロリチョリ」で、節がはっきりしています。これに比べれば、私が日光で聞いた声は、鳴くたびに節の変わるものでした。これは、さえずりの練習歌、ぐぜりという鳴き方のようです。いつか、ジョウビタキの本格的なさえずりを聞けることを祈って早春の日光を歩いています。

松田道生(2003年1月2日・起稿)

イラスト:水谷高英氏

ジョウビタキのグゼリ(日光市内稲荷川下流域)>

※音声を聞くためにはリアルプレヤーがインストールされている必要があります。


日光野鳥研top