−亜高山帯の鳥−

コマドリ


 江戸時代の飼い鳥の指南書『飼鳥必用』には「吉野駒、秩父駒」に並んで「日光駒」の名前があげられています。当時、飼い鳥として、もっとも珍重されたのが、奈良県吉野のコマドリ。それと並んで日光のコマドリも絶品とされていたのです。
 コマドリの魅力は、なんといってもその軽やかなさえずりです。「ヒン、カラカラ」という節が、馬のいななきに似ている、馬具の音に似ているなどが、駒鳥の語源です。この声に魅力を感じて、飼い鳥として珍重されました。日光駒という地名のついたブランド名が残っているほど、日光のコマドリの声が良かったわけです。ということは、日光ではコマドリがたくさんいて、個体間の競争が激しく声が良かったということになります。
 今では、草地の目立つ日光連山の裾野ですが、かつては切込湖や刈込湖の周辺のようにモミ、シラビソ、コメツガなどの巨木の樹海が広がり、地面をシダやクマザサなどの下生えが覆っていたといわれています。ところどころに残っている大きな切り株が、当時の面影を思い起こさせます。大森林が広がっていた当時の日光には、たくさんのコマドリがいたことでしょう。


 コマドリは、関東地方では亜高山帯の野鳥の代表です。標高ではおおむね1500mを越えないと、出会うことのない高い山の鳥です。ですから、学生時代から通っていた軽井沢では標高が低すぎて、コマドリと出会うことはありませんでした。私が、コマドリをじっくりと堪能できたのは、この日光に通いはじめてからのことです。
 たとえば、霧降大橋に立って日光連山を見渡して見てください。男体山とその右の大真名子の間の大きく凹んだところが志津です。だいたいこの志津を中心に腕を伸ばして5cmくらいの幅を左右にふった一帯が、コマドリの生息地です。と、いったらイメージがつかめるでしょうか。
 ですから、いろは坂を登って戦場ヶ原ではまだコマドリはいません。湯元でもまだちょっと低くて、もう少し登った金精峠までいけば確実です。また、金精峠から切込湖、刈込湖を通って山王峠までのハイキングコースがいちばん、コマドリの密度が高く、出会いが確実なところです。
 さらに光徳をぬけて志津林道を通って、志津あたり。裏見の滝から行く野州原林道では丹勢山を越えたあたり、三人立河原まで行くと、コマドリの声が聞こえてきます。
 雲竜渓谷は、雲竜瀑が見えるあたりですから、道はもう行き止まりです。おそらく、ここが自動車で行けるもっとも簡単にコマドリに会えるところでしょう。ただし、途中にはゲートがあって、一般車両は立ち入り禁止です。
 誰でも自動車で行けるコマドリポイントは、日光ではいちばん東の端、霧降高原を越えた六方沢橋付近です。正しくは今市市になりますが、自然的は日光です。有料道路を通らなくてはなりませんが、日光駅からからならば自動車で約30分ほどで、コマドリの声が聞こえるポイントまで行くことができます。
 同様に標高の高い霧降高原には、コマドリはいません。コマドリの生息環境は、樹木がうっそうと茂り、さらに木の下には笹藪などのブッシュが豊富なところです。志津周辺でも木がなくササ原だけのところでは、コマドリの声を聞くことはありません。コマドリがいるということは、豊かな森林の環境が整っているという証拠に他なりません。
 ところが、このコマドリほど、姿を見せてくれない鳥はいません。前述のように、よく茂った森林のブッシュの中を生活の場としてしている鳥なのですから、姿を見ることが難しいのです。


 今まで、私がコマドリの姿を見たのは、わずかに2回しかありません。そのうち1回は東京の六義園で春の渡りの途中もの。あと、1回が雲竜で5月上旬のまだ芽吹きがはじまったばかりの頃。葉が少なく、姿を見やすかった時のことです。
 姿を見て、大きな声量とは異なって思いのほか、小さい鳥だという印象を受けました。胸のオレンジ色も派手ではなく、しっとりとした上品な色です。
 この間、会ったアメリカのバードウォッチャーは「コマドリはシャンペンバードだ」と言っていました。見つけたら、シャンペンで乾杯する価値のある鳥だそうです。確かに、声が聞けても姿をなかなか見ることができない鳥、そして日本だけに分布する数少ない鳥なのですから、その価値は理解できます。

松田道生(2003年1月2日・起稿)

イラスト:水谷高英氏

コマドリのさえずり(奥日光湯元小峠)>

※音声を聞くためにはリアルプレヤーがインストールされている必要があります。


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