−日本三霊鳥−

ジュウイチ


 もし、江戸時代に「日光を代表する鳥は?」と訪ねられたらジュウイチと答えたことでしょう。江戸時代に日光市の鳥を決めたのならば、キビタキではなくジュウイチになっていたかもしれません。というのは、江戸時代に書かれた日光のガイドブックとも言える「日光山志」には、日光はジュウイチの産地として大々的に書かれているからです。
 「日光山志」は5冊にも及ぶ和本です。もちろん木版で刷られ、墨一色です。しかし、4巻のなかの鳥と植物の部分だけの数ページのみがカラーで刷られています。そして、鳥は慈悲心鳥と書かれたジュウイチ、岩燕と書かれたハリオアマツバメの2種類だけです。


 「沙羅樹 慈悲心鳥」と書かれたページには白い花の咲いたナツツバキの枝にとまるジュウイチが描かれています。沙羅の木はお釈迦様が死を迎えるときに、木全体が真っ白になったという伝説の霊木。しかし、インド原産のシャラとナツツバキは別物です。
 鳥は、頭から背中が灰色で、全体の形はカッコウの仲間の雰囲気で、ちゃんと脚が黄色で、脚指は前2本後2本の対し足になっています。この指の形については文章にもわざわざ書かれています。ただし、胸には鱗模様があり、カッコウ、ツツドリ、ホトトギスのようです。
 同じ仲間のホトトギスの花鳥画と言えば、尾をぴんと上げて飛ぶ四条丸山派によって好まれて描かれたスタイルが有名です。双眼鏡のある今の時代でさえ、じっくりと姿を拝ませてくれない鳥だけに、不正確なのは致し方ないことでしょう。


 また、この鳥は「神山に住む霊鳥で、自らの名を呼ぶ」などの他、「初夏の頃より声を発せり」の記述もあり、だいたい5月中旬ころに渡ってきて声の聞かれるジュウイチの習性に合致します。
 昔の人は、ジュウイチの声を「慈悲心」と聞いたのです。そのため、「仏法僧」と鳴くと思われていたブッポウソウ、「法、法華経」と鳴くウグイスを加えて、日本三霊鳥としてあがめていたのです。
 ウグイス以外は、身近な鳥ではないだけに色々想像され、神格化された部分があったと思います。とくに、日本の有数の霊場の日光に住む霊鳥なのですから、ジュウイチへの思いはつのるものがあったでしょう。
 日光山志には、ジュウイチのいるところとして「荒沢、寂光、栗山辺にも多く(中略)人家のあるところでは声を聞くことは希なり」と書かれています。
 荒沢は、裏見の滝の流れ、その上流には慈眼の滝があります。野州原林道を行くと、慈眼の滝周辺から丹勢山、さらにその上の志津で、ジュウイチの声を聞きますから、日光山志の記述どおりということになります。
 この他、稲荷川の上流域、雲龍渓谷から日向ダムのあたりもよく聞きます。また、小田代が原の手前を中禅寺湖に抜ける道の高山コースを歩いたときは、私たちの歩く前を1羽のジュウイチが長い間、鳴いてはとまり、とまっては鳴き、じっくりと姿と声を聞かせてくれたことがあります。また私自身、日光の市街で聞いたことはありません。

 ジュウイチもカッコウ同様に托卵の習性があります。お相手は、オオルリ、コルリ、コマドリ、ルリビタキであることが知られています。いずれも、日光では多い鳥です。標高の低めの所ではオオルリ、コルリが多く、高いところではコマドリ、ルリビタキがたくさんいる日光あってこそ、ジュウイチが生息できるのです。
 さらに、書き加えるならば、戦場ヶ原のような湿地、光徳牧場や大笹牧場のような草原にはいない鳥たちです。いずれも森林の小鳥たちで、ジュウイチにも湿地や草原ではなく、森の奥深い所で出会っています。
 きっと江戸時代の日光では、オオルリ、コルリ、コマドリ、ルリビタキが、あふれるように生息していたことでしょう。

松田道生(2002年7月21日・起稿)

イラスト:水谷高英氏

ジュウイチの声(野州原林道)>

※音声を聞くためにはリアルプレヤーがインストールされている必要があります。


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