−ピリリと勝ち気−

サンショウクイ


 日光の人は山椒が好きです。連休の頃になると、山椒の芽を摘む人に山でよく会います。その頃ちょうど渡ってくるのが、その名もサンショウクイ。日光の人のような名前の鳥です。名前の由来は、山椒を食べて辛くて「ヒリリン、ヒリリン」と鳴くからというものです。
 このサンショウクイ、めっきり少ない鳥になってしまいました。かつては山里に初夏の訪れを知らせるあたり前の鳥だったのです。前後間もない頃は、東京都区部や明治神宮でも繁殖していたほどです。しかし、今では日光を訪れた鳥仲間が「何10年ぶりに声を聞いた」と感激するほどの鳥になってしまいました。日光の人が山椒が好きなためなのか、サンショウクイは日光でまだ出会うことができる鳥です。


 サンショウクイは夏鳥。渡り途中には、まだ東京でも姿を見せることがあります。私が明治神宮や六義園で、数羽の群れで鳴きながら森の上を飛んでいく姿を見たのも、ちょうど連休中に調査をやっているときです。
 そして、日光ではサンショの芽が出る頃、4月下旬から5月上旬に渡ってきます。特有の声は6月いっぱい聞くことができます。
 この鳥は日光といっても、山深いところや標高の高いところではなく、どちらかといえば低めのところです。ですから、いろは坂を登って中禅寺湖畔や戦場ヶ原では出会うのない鳥です。たとえば、日光駅から歩いて行ける小倉山周辺。日光乗馬クラブのテラスで、コーヒーをご馳走になっていると、山の稜線の上を鳴きながら追いかけ合い、頭の上を飛んでいくという出会いです。ですから、同じく小倉山にある福田豊会長ご自宅の前で立ち話をしていると「おや、サンショウクイだ」と二人でしばらく聞きいったことがありました。


 いちばん出会うのが、霧降別荘地の中程。東武橋からその上のアスレチック場の跡地やペンション・アリの塔のあるあたりです。この標高の高さで、もう少し東にふると霧降の滝があり、ここでも出会ったことがあります。しかし、西にふったほぼ同じ標高の稲荷川下流域や滝尾神社周辺では、あまり聞きません。
 サンショウクイは広葉樹の高木、それも関東地方ならば平地から標高数100mくらいのところ、里山とか丘陵地と言われる環境限定の鳥なのです。もう平地や低い山には、高いクヌギやコナラといった広葉樹がありません。こうして、サンショウクイのすみかがなくなり数を減らしてしまったのです。日光では、かろうじてまだ残るミズナラやハンノキの仲間の高木が、この鳥の命脈を保っているのでしょう。


 ですから、里山の風景の残る善法や山久保も、いそうなところです。そして、逆に針葉樹の多い滝尾神社周辺は少ないのでしょう。
 サンショウクイは、ホオジロなどが木のてっぺんにとまってさえずるのに対し、飛びながらさえずってなわばりを主張するのが習性のようです。その声も、だんだんテンポが速くなっていくのです。他の鳥のさえずりがのんびりした印象を与えてくるのと違って、せっぱ詰まった感じに聞こえます。鳴きながらの追いかけ合いも、ディスプレイフライトをしながら雄が雌にラブソングを歌っているのかもしれませんが、聞いているかぎり雄同士のけんかのようにしか聞こえません。図鑑を見ると頭が黒い雄、灰色に見える雌と区別ができるのですが、なにせ高いところを飛び交っているので雌雄の区別ができなのが困りものです。
 声の印象通り、気の強い鳥だと思ったことがあります。霧降別荘地で、車の中からマイクを出して録音をしていると、エナガが近くにやってきました。それを、何が気に入らないのかサンショウクイが、追いかけているのです。おそらく巣が近くにあったのでしょう。ですから、警戒や威嚇の声で鳴いていたことになります。それが、いつもの声と変わらないのです。サンショウクイ同士では、きっとラブソングと威嚇の声を聞き分けているのでしょうが、私には同じように聞こえます。


 残念のなのは、姿をじっくりと見ることできないのです。木々の間を鳴きながら飛ぶ姿。山の稜線を飛んでいく姿が多く、とまっているのを見ることはなかなかありません。あっても高い木のてっぺんなので遠くて小さかったり、周りにある茂った葉の影で姿をはっきりと見ることができません。
 さらに、不思議なのは7月に入るとほとんど姿も見えず声も聞こえなくなります。これは、サンショウクイばかりではありませんが、特にこの鳥は顕著です。そして、秋も春と同じように東京の緑地を渡っていくはずなのですが、秋の渡りにこの鳥にあったことはありません。あれだけ、初夏ににぎやかだった分、繁殖が終わってしまえば人一倍、鳥一倍静かになってしまうのでしょうか。

松田道生

イラスト:水谷高英氏

サンショウクイのさえずり(霧降別荘地)>

※音声を聞くためにはリアルプレヤーがインストールされている必要があります。


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