−地味さが信条−

クロジ


 アカジという鳥はいませんが、クロジとアオジがいます。どちらバードウォッチングでもしなくては、知ることのない鳥の名前でしょう。クロもアオもこの鳥たちの体の色が由来です。とくに、クロジの雄は全体に黒く、その名の通りです。アオジに関しては、青み、あるいは緑みはわずかでどちらかというと胸から腹の黄色のほうが印象に残る鳥です。
名前のジは、ホオジロの仲間をシトドと呼んだ古い鳥の名前の名残り。要するにクロシトドが縮まってクロシ、クロジになったというわけです。では、シトドの由来はというと、鳴き声の「シッ」と鳥がなまったトット、「シッと鳴く鳥」の意味と言うのがもっぱらの説です。


 日光はクロジにとってゆかりの深い場所です。「日本鳥類大図鑑」、通称清棲図鑑には、著者の清棲幸保博士自らの記録として、クロジの繁殖の可能性のある地名のひとつに日光の金精峠下と書かれているからです。日付は1936年8月16日、栃木県下都賀郡奥日光となっているところが、いかにも時代を感じさせます。それに、クロジの繁殖の記録がいかに少ないもので、局地的な分布をしていることを物語っています。


 私が湯元から切込湖、刈込湖へ向かう途中の小峠でメボソムシクイのさえずりを録音していると今まで聞いたことのない声がヘッドホーンから聞こえてきました。まったく声の主が想像できず、とにかく録音しておこうとマイクを向けました。
 カタカナで書くと「フィー、チチチチッ」と聞こえます。後ろの「チチチチッ」は尻上がりにテンポと音の高さが上がっていくものです。後で考えると同じ短めの節を何度も繰り返すのは、ホオジロの仲間のさえずりの共通の特徴と一致します。しかし、柔らかい音色はホオジロの他の仲間はもちろん、どんな鳥にもない独特のものでした。


 はじめは遠かったのですが、つぎに聞こえたのはすぐ近くの藪のなか。なんとか姿も見えそうなので、声のするほうへじりじりと近づいていきます。こうして近づきつつも一気に飛んでいってしまい、名前がわからないままという苦汁を今まで何度、味わったことでしょう。このときほど、飛ばしてはいけないと一歩一歩慎重に近づいたことはありません。暗い森のなか、灌木の根本に小鳥の影が見えました。実は、影と見えたのはクロジで、この鳥はもともと黒いので影のように見えたのです。そして、鳴きながら下枝を移動していったのです。録音機のテープがゆっくりとまわり録音されていることを確認します。
 これ以前にもこれ以降も鳥の声をこんなに近くで録音したことはことはありません。近くに沢もあり、けっこうノイズの多い環境だったのですが、とてもきれいな音が録れました。珍しいクロジで、会心の録音が録れるなんて思っても見ませんでした。
 小峠は、金精峠下とはさほど離れていません。時代を超えて60年後の今日、戦前に清棲博士が見た個体群の子孫かもしれないクロジに会えたかと思うと感慨深いものがあります。


 東京では、クロジは冬鳥。明治神宮などの都心の緑地で冬に会うことができます。私のフィールドの六義園でも冬に見ることが多いのですが、どちらかというと秋と春の渡りのときに出会うことが多く、一冬を過ごしていくという印象はありません。いわば旅鳥です。
 日光でも寒い季節に見たことがあります。もちろん標高の低いところ。梅屋敷のとなりの松屋敷などです。日光植物園では連休の頃でしたから、これも六義園と同様に渡りの途中だったのかもしれません。いずれのときも地面やツツジなどのよく茂った灌木のなかにいました。アオジが、越冬地では地面や藪で過ごし、繁殖地では木のてっぺんでさえずり大きく生活の場を変えるのに比べて、クロジは一年中同じ所にいるようです。


 クロジの地鳴きは「シッ」とか「ツッ」と聞こえるアオジとまったく同じ声です。ときどき、アオジとクロジの地鳴きを区別できるというバードウォッチャーがいますが、私には区別できません。また、声紋で見る限りそれほど差があるとは思えません。
 六義園では、アオジの数羽の群れのなかにクロジが入っていることもあります。藪や下草の多いところにいる鳥のこと、どの鳥が鳴いているのかわかるわけがないというのが正直なところです。また地鳴きには、警戒の声や仲間同士の存在の確認など、合図の意味によって声が異なります。クロジとオアジの地鳴きの違い程度では、オーバーラップしてしているではないでしょうか。
 クロジもアオジも欧米人のバードウォッチャーには喜ばれる鳥です。どちらも東アジアの特産種、とくにクロジの分布は狭く日本列島周辺限定の野鳥です。昨年、遠く離れたカムチャッカの森でクロジに出会いました。日光の森を思い出しましたのは言うまでもありません。

松田道生

イラスト:水谷高英氏

クロジのさえずり(奥日光湯元小峠)>

※音声を聞くためにはリアルプレヤーがインストールされている必要があります。


日光野鳥研top