戊申の道

野鳥紀行の最初のページ

 今では日光から大笹牧場に行くのには、舗装された立派な霧降有料道路があります。当然のことながら、昔は山道しかありませんでした。戊辰戦争のときに、徳川方の幕府軍が会津に抜けるのに通ったという戊申の道がそれです。この道を霧降の活性化のために復活させたスタッフ、総勢8名と歩いてみました。

 この日の起点は、霧降の滝。私は自然のなかに佇むように流れる霧降の滝が好きです。観瀑台に立つと、春は新緑、夏は深緑、秋は紅葉、冬は雪景色に覆われた滝が、凛と流れる風景は日光の自然の魅力のひとつです。この霧降の滝の上流には、丁字の滝、玉簾の滝、マックラ滝と名付けられた霧降隠れ三滝があります。まずは、この滝を巡るコースを歩きました。これは、ガイドブックでは丸山コースとなっている道です。
 霧降の滝の駐車場を抜け「丸山へ」という道標にしたがって山道に入ります。しばらく、コアジサイやウツギの花のトンネルの道を歩くと、霧降の滝の上流部にあたる霧降川に沿った道となります。足下には、フタリシズカの群落がありました。この植物の生育条件の湿度と照度がぴったりと合ったのでしょうか、こんなに大きな株のフタリシズカは見たことありませんでした。
 渓流沿いの道ですから、オオルリ、ミソサザイ、カワガラス、キセキレイの声がときおり聞こえます。「チッ、チッ」という鋭い連続音が聞こえてきました。姿を見ると、コルリの雌。どうも、巣だったばかりの雛が近くにいるようです。コルリの地鳴きも雌の姿もじつは初めて。珍しい体験でした。

 エゾハルゼミと渓流の涼しげな流れの音を聞きながら玉簾の滝、丁字の滝をすぎるとマックラ滝に着きました。ここまでくるだけで汗びっしょり、今日の山歩きは終了といいたいところですが、実はここからは戊申の道に入る本番なのです。
 戊申の道は、マックラ滝から有料道に向かう途中、看板に従って山に入ります。いきなり急な登りですが、すぐに平坦な尾根道になりました。歩くのがやっとの道なのに、ササがていねいに刈ってあったり整備されています。さぞ道の復活にはご苦労があったでしょう。
 展望の開ける尾根道では、森の中にメルモンテ、ニュー霧降キャンプ場、ちろりん村などの施設が点在しているのがわかります。しばらく行くと道は下りとなり、つめた沢を横切ります。この沢は、霧降川の支流。名前の通り冷たい清流です。ここで昼食をとりました。霧降滝の駐車場からゆっくり歩いて、約2時間30分です。
 しばらく登ると、また尾根道になります。カラマツとササの道を歩くと、大きな羽が落ちていました。ノスリの翼の羽です。それを見たTさんが「ここにはノスリの巣があった」と報告。見上げると大きな枯れ枝を集めた巣が見えました。私たちはちょうど巣の下にいたのです。

 この先の空き地には、小さな祠が2つ。道中の安全を願うためでしょう。この道が、かつては生活道路であった証拠です。ここでは、カッコウやホトトギスの声を聞きながら一休みをしました。
 疲れてきて足下を見て歩いているせいか、ネズミの毛が固まったペリットを発見。フクロウのものでしょう。
 ここでアクシデント。私の数歩前を歩いていたMさんが、急に振り返ったと思うと「クマ!クマ!」と叫んで走り出しました。一瞬、「クマ見たい」と思ったのですがMさんの行動からは、そんな余裕はなさそう。私も彼の後を走って逃げました。唖然とする他の同行者の横を走り抜け、列の最後尾に。一息ついたMさんの顔は真っ白になっていました。
 クマは、ちょうど山道がカーブしたところ10mほど先にいたそうで、クマと最悪の事態になる可能性のある出会いでした。「大声を出せ」と言われたのですが、このような時になんと言ってよいかわからず、私は「クマー」と叫びました。しかし、どうもクマを呼んでいるようなので、これはまずいとやめました。

 この先で、最後の急な登りとなります。道は階段状になっているので、足下はしっかりしてます。ただし、先ほどのクマのせいでしょうか皆の足は速く、私は付いていくのが一苦労です。
 登り切るとそこは、霧降高原のリフト乗り場の近く。高原ハウスのあるところです。ホオジロの歯切れの良いさえずりが迎えてくれました。
 見渡すと、関東平野全体が見えるのではないかと思うほどの眺望が広がっています。目の下をノスリがゆっくりと飛んでいきます。
 出発点の霧降の滝周辺の施設が小さく見えます。あそこから、歩いたのか思うとどっと疲れが出てきました。地図を見れば、道なりでも5km。直線ならば3kmほど。約6時間の行程でした。

松田道生
2004年6月15日取材  2004年8月20日・起稿


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