女峰への道

野鳥紀行の最初のページ

 最初に出迎えてくれたのはキバシリ。滝尾神社の境内とも言えるスギの大木の幹をするすると登っていく。東照宮の裏に当たる場所だから標高もそんなに高くない。繁殖シーズンに、このあたりで見るのは珍しいことだ。これは、さい先が良い。

 本日は、行者堂の裏から続く女峰山への道を行けるところまで行ってみようと思っての山歩きである。ここ3年通い始めた雲竜渓谷へ向かって左の尾根道である。いつも下から見上げている山並みには、うっそうと樹木が茂っていて、いかにも野鳥が待っていそうな雰囲気なのだ。行けるところまで行って疲れたら帰ってくればよいと気楽に考えての山歩きでもある。
 カミさんは、新しい軽登山靴と新しい双眼鏡を試したくて張り切っている。天気は曇り。予報では雨になることはなさそうだが、やや肌寒い。

 行者堂の裏からいきなり急斜面の登りである。山菜採りであろうか、足跡がたくさんあって、それも滑って転んでという跡もある。それだけに、どこで滑るのかわかるのはありがたいが、肌寒いと思っていたのにも関わらずたちまち汗が出てくる。
 10分ほどで登り切るとスギ林の平坦な道となる。ウグイス、センダイムシクイ、ヒガラが近くで、オオルリアカハラが遠くで鳴いている。アカヤシオのピンクの花がさかりである。足下には咲き残ったカタクリの紫色の花が揺れている。
 ところどころ視界が開け、稲荷川下流域を一望にできる。いつも歩いている場所を別の角度から見るのは新鮮な感じがする。さらに行くと、山並みの中から稲荷川が湧き出るように流れている風景を望めるポイントもある。もし曇っていなければ、日光連山がその奥にそびえ立っているはずである。
 林の中からふわっと大型の鳥が飛び立った。あっという間に木の陰に入ってしまったが、飛び方は猛禽ではないし、翼の形も違う。去年の秋に植物園で見たミゾゴイに背中の色が似ていた。フィールドノートには()の中にミゾゴイと名前を書くことにした。

 しばらく続くスギ林は、やや鳥の影が少ない。そんな道を30分ほど歩くと、右に太めの林道が見えてきた。せっかくここまで歩いてきたのに、車で来ることができるのかとちょっと拍子抜けをする。あとで地図を見ると、この林道は慈眼堂の裏から始まる林道で、入口には鍵がかかっているはず。そういえば、福田会長が慈眼堂の裏にいい場所があると言っていたのを思いだした。いつのまにか、そこに来ているようだ。
 林道はここで行き止まりで山道に入る。ところが、また急な斜面になった。これも10分ほどでなだらかになる。そして、大きな石碑が建っている。まるで映画「2001年宇宙の旅」に出てくるモノリスのようだ。消えかかった文字は「殺生禁断之碑」と読める。そう言えば、地図に載っていたことを思い出した。
 この碑を越えると、道が平坦になりスギ林が途切れ落葉樹の林となる。道の両側は、つぼみが今にもほころびそうなツツジが並び、迷彩のような木肌のリョウブも多い。ところどころにシラカバがあるが、まだ芽吹いていない。この林に入ると、たちまち野鳥の声と姿が多くなった。
いちばん元気に鳴いているのはヒガラ。小さな群れなのか、数番が集まってのなわばり争いなのか、可愛い小鳥だけにケンカしているのか、仲良く集まっているのかわからない。
 今日はここまでと腰を落ち着けて、しばらく野鳥たちの声を楽しむことにした。耳を澄ますとマミジロ、コガラセンダイムシクイが鳴いている。まわりをアカゲラが飛び回っていく。頭の上を大きな猛禽が飛んでいく。ノスリである。いつも雲竜で出会うものと同じだろうか。
 休んでいると鈴の音が聞こえた。本日、初めて会う登山者である。若い人で、すたすたと歩いてあっという間に姿が見えなくなった。
 帰りは、スギ林の中で2声、フクロウの声を聞いた。より曇って来て暗くなったせいだろうか。ちょっと天気が心配になってきた。それでも午前9時に出発し、ゆっくり歩いての行き帰りで12時30分には、もとの滝尾神社まで帰ってくることができた。

 あとで地図を見たら女峰山までの道のりのたった5分1ほどの行程しか来ていなかった。この先の稚児の墓、水場までは比較的なだらかな道のようだが、その先の黒岩、女峰山は本格的な登山となる。それを思えば、10分の1ほどかも知れない。
 日光を世界に紹介したアーネスト・サトーもこの道を歩いている。彼の記録を読むと、行者堂を午前7時に出発して女峰山の頂上に午後2時に到着。そして、その日の夕方には町に戻ってきているという健脚振り。東洋文庫の「日本旅行日記2」では、出発から殺生岩までは、わずか8行であった。

松田道生
2000年5月6日取材・2000年5月15日起稿

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