天上の鳥たちに会う−雲流渓谷

野鳥紀行の最初のページ

 出迎えてくれたのは、アマツバメの大群だ。「ジュルル、ジュリリ」と鳴き合いながら頭の上を舞っている。それも、ただ飛ぶだけではなく、鳴き合いながら空中で群がひとかたまりになり、かたまったかと思うと、すうっと散って空一杯に広がっていく。これを何回も、いくつもの群が繰り返しているのだ。それも、頭の上でやってくれることもあれば、眼下の谷でもやっている。ひと群は100羽は越えているだろうから、全体では1000羽、あるいは2000羽いるかも知れない。
 ここは、日光の雲流渓谷である。目の前には帝釈の頂上が見え、岩肌がそびえ立っている。下には、神橋のすぐ下で大谷川と合流する稲荷川の源流域の切り立った渓谷が見える。名前のとおり、雲が山の頂上を流れていく。今回、はじめて福田さんの案内で雲流渓谷に入った。この年、取材を行うテレビ番組の下見ということで、許可を取っての入山である。

 雲流渓谷は、日光市街地からならば距離的には10km、時間的には車で20分もかからない。ただし、途中にゲートがあって車は入れない。毎年、冬になると氷壁で救助訓練の練習をするというのが報道されているのを見ていると、雲流は行くことのできないところ、行ってはならないところと思っていた。
 それだけに「雲流へ行こう」と福田さんから言われたときは、不安と期待でいっぱいだった。福田さんがゲートを開けて、曲がりくねった道を車で登っていく。先には、壁のように日光連山がそびえ、道の片側のほとんどは崖である。トルーキンの「指輪物語」に出てくるホビットが向かうモルドールの滅びの山かと思うほどだ。晴れているから良いものの暗雲立ちこめていたら翼手竜が飛んでいてもよい雰囲気である。今までに見たことのない、日光の隠れた素顔を見る思いである。

 野鳥は、もちろんアマツバメだけではない。標高は2000m近くあるので亜高山帯の鳥の領域にはいる。そのため、コマドリ、ルリビタキ、メボソムシクイ、ウソの声が絶えず聞こえる。また、こんな高いところまでオオルリがいるのも驚きである。標高の高いところには、オオルリ好みの渓流はないのだが、ここには立派な渓流があるからだろう。オオルリが環境を選ぶのは標高ではなく渓流という要素であることがわかる。
 同じようにアマツバメがいるところも日本では、高山と離島である。標高では、0mと2000mと極端である。人や天敵の獣が近づけず、飛ぶことに長けたアマツバメが利用でる岸壁は、日本の自然の中には高山と離島に多いからだ。アマツバメも環境の形でいる場所を選んでいるので、標高で選んでいるわけではないのだ。鳥がそこにいるというには、必ずなにかわけがあると、アマツバメの群を仰ぎながら考える。
 また、アマツバメが大騒ぎをしている。さっきとようすが違うと思い見上げると、大きな鳥が飛んでいく。タカだ。ノスリである。福田さんが、崖から飛び立ったという。その崖を探すと枯れ枝が積み重ねられている巣があり、中で動く気配がする。雛がいるのである。しばらく見ていると、弓状に湾曲した大きな岸壁をアマツバメがさかんに出入りをしているから、そこはアマツバメのコロニー、巣があるはずだ。そして、そのすぐ横の崖にノスリの巣がある。そのため、ノスリが巣を出入りするたびにアマツバメが警戒して飛び交うのである。
 少し上に登って雲流瀑がよく見えるポイントに行く。ここからは、渓谷を真下に見下ろすことになる。雲流瀑の周辺にも切り立った崖があり、そこでもアマツバメの群がさかんに出入りしている。また、私たちの歩いている消えかかった登山道の横にある崖からもアマツバメが飛び出していった。鳥たちの聖域に踏み込んだ後ろめたさと、たくさんの鳥たちの姿と声に圧倒され、しばらくは2人とも声が出なかった。

 気を取り直して、見るとアマツバメの中にイワツバメがいるのを福田さんが見つけた。かつての日光小学校に大コロニーがあった。しかし、現在でも市街地にもいるもののかつての大コロニーの面影はない。福田さんは、そのイワツバメが雲流にいるのではないかというのだ。
 イワツバメは、かつては山の鳥だった。しかし、近年平地に分布を拡げ、東京では23区内でも繁殖し増えた鳥のひとつである。イワツバメの本来の巣作りの場所は崖である。鳥から見ると同じ形の橋、ダム、ビルが、近年たくさんできた。そのため数も分布も拡大したのである。しかし、私自身、自然状態の崖に巣を作っているイワツバメを見たことがないことに気が付いた。崖に作られた巣を出入りするイワツバメを見るのは、初体験である。
 あとで文献を調べてみたら、崖に巣を作っている所で確実に報告されているのは日光の華厳の滝だけであった。この雲流渓谷は、イワツバメの本来の姿を見ることができる貴重な場所でもあったのだ。

松田道生
1999年10月6日起稿、1998年5月30日取材

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