初夏の奥日光高山

野鳥紀行の最初のページ

 秋に栃木県奥日光の戦場ヶ原から中禅寺湖に至るハイキングコースを歩いたことがある。落ち葉を踏みしめながらの道でシカがいたり小鳥たちにもたくさん会えた。この道を初夏に歩いたら、どんなに野鳥が多いかそのとき思ったものだ。義弟と鳥友のH氏と5月下旬、このコースを歩く機会に恵まれた。

 戦場ヶ原の入り口の赤沼から小田代ヶ原や千手ヶ浜までは、自動車の進入が禁止されている。そのかわりに電気バスが運行している。このバスは、区間のなかではどこでも乗せてくれるし降ろしてくれる。私たちは、小田代ヶ原の手前の高山へ向かう道の入り口で降ろしてもらった。
 このあたりは、ミズナラやシラカバの林、林床はクマザサで、森の中へはいると以外と視野が開ける。シラカバの若葉の緑と幹の白、空の青が目に眩しい。
 風景に見とれている間も野鳥たちの声がたえない。いちばん、よく聞こえてくるのはカッコウの響く声だ。林の中からは、複雑な節回しのキビタキのさえずりも聞こえてくる。遠くでアカハラも鳴いている。
 ミズナラの太い幹を鳥が動いているのを見つけた。枝の間に姿が隠れてなかなか正体が見えない。動きから、キツツキの仲間であることは間違いないのだが、わからない。やっと、姿が見えるところに出てくれた。オオアカゲラだ。このあたりでは、アカゲラが多いから珍しい。

 「ジュウイッチー」という声が、近くて聞こえた。鳴き声の通り、ジュウイチという鳥だ。この鳥は、カッコウやホトトギスの仲間である。カッコウなどに比べて、なじみがないのは、それだけ数が少ないからだ。昔は、この「ジュウイチ」という鳴き声を「慈悲心」と聞いて慈悲心鳥の異名がある。カッコウと同じように、他の鳥に托卵をしてその鳥の雛を殺し育ててもらう習性がある。被害に遭うのは、コルリなどだが、彼らにとってみれば慈悲心鳥とは呼びたくないことだろう。
 このジュウイチは、江戸時代の日光を詳しく記述した「日光山志」の中で、日光の特産として紹介されている。本は和綴じ5巻のもので、墨一色で刷られているが、このジュウイチを紹介したところだけが、多色刷りである。それだけに、日光の名物として重要視されていたのだろう。しかし、日光には何回も来ているが、この鳥の声を聞くことは少なく、聞かれたとしても山の向かうからかすかに聞こえてくる程度だった。
 ところが、この声の主のジュウイチは、近くで鳴いている。これは、姿が見えるかもしれないと、声のする方を探してみる。そうすると、ミズナラの中程の枝にハトほどの大きさで尾の長い、ジュウイチを見つけた。ほかのカッコウの仲間は、灰色で地味な色をしている。しかし、この鳥は頭から背中が黒く、胸から腹が赤みの強いオレンジ色をしており鮮やかな鳥に見える。
 私たちが歩いていくと飛び立って、またその先の枝にとまってくれる。まるで、鳴きながら道先案内でもしているように、たえず姿と声を聞かれてくれるのだ。
 近いと嘴の先と付け根が黄色で中程が黒いのもわかる。尾には、黒と赤みのある褐色の縞模様があるのもじっくりと見えた。今まで、こんなにはっきりとジュウイチを見たことはないと、ベテランとH氏も興奮して双眼鏡をのぞいている。
 やっとというか、とうとうジュウイチも道からはずれて飛んでいった。今度は「チープ、チープ」という聞き慣れない声が、道端の木の中から聞こえてきた。なんの声がわからない。やっと葉陰に姿を見つけると、ウグイスの仲間のセンダイムシクイだった。次は「グチュグチュ」と口の中でしゃべっているような声。これも葉の中の姿を何とか確認したらコサメビタキだった。ベテランを自負する私たちだが、まだまだわからないことがたくさんある。

 高山を横を抜けると、今度は中禅寺湖に向かって下りの道になる。途中から小さな沢沿いの道となる。日光は、このようにどこでも水が豊富で、これが野鳥の多い秘訣だろう。
 先ほどまで歩いてきた林と環境が変わったと思うと、たちまち野鳥の種類も変わってきた。まず、ミソサザイの金属的な複雑なさえずりが聞こえてきた。湿った林の好きなコマドリのさえずりも近い。これは、姿が見られるかもしれないと思って粘ってみたが、茂った林の中から声が聞こえるばかりで姿はチラッとも見えなかった。
 近くの藪を青い影がよぎる。ルリビタキのきれいな雄だ。冬は都会の公園でも見られるが、繁殖地のものはさすがにきれいだ。

 このあと奥日光らしい鳥は、オオルリ、エゾムシクイ、アマツバメ、ビンズイ、ゴジュウカラ、ホトトギスなどなど。丁寧にメモをとっているH氏のフィールドノートの記録は、もう何ページにもわたっている。ほんとうに、今日はたくさん野鳥に会えたね。野鳥の多いところだと、一同感心することしきり。私も何10年とバードウォッチングを楽しんできたが、ベスト10に入るほど素晴らしい1日であった。

松田道生
1996年6月 「理科の教育」日本理科教育学会

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