切込湖と刈込湖

野鳥紀行の最初のページ

 栃木県奥日光の切込湖と刈込湖は、森の中に静かにたたずむ湖だ。小学生の修学旅行の時に、この湖まで行けなかったことがあり、ずうっと心残りだった。初夏のある日、義弟とこの湖を訪ねることにした。標高は、二千メートル近いの亜高山帯。どんな野鳥たちにあえるか楽しみである。

 戦場ヶ原から光徳牧場を通って山王峠に着いた。ここに車を置き歩き始めた。道はいきなり、急斜面の下り坂。岩がごろごろしている上に雨上がりで滑りやすい。つづれ折りの坂道を下り始めるとすぐに膝ががくがくしてきた。汗でTシャツがびしょびしょになる。
 やっと、下りきると水の枯れた池の跡に草原が広がっている。腰掛けて休んでいると、この草原を渡ってくる風でたちまち汗が乾いていくのがわかる。
 休んでいると、遠くからジュウイチの声が聞こえてきた。この鳥は、ホトトギスの仲間。奇妙な名前だが、声が「ジュウイチ」と聞こえるところからついた名前だ。また、これを「慈悲心」と聞き慈悲心鳥の異名がある。江戸時代に日光を紹介した「日光山誌」には、日光の特産としてこの鳥が、カラーの挿絵付きで紹介されている。
 義弟に「帰りはあの坂を上るのか?」と聞くと山男の彼はこともなげに「そういうことは、考えない方がいい。」と言う。私は、下ってきた斜面を見上げて、ため息をついた。気持ちを入れ替えて、いざ湖に向かって歩き始めた。

 歩き始めると、すぐに深い森の中に入る。山道の周りは、クマザサがしげりモミやシラビソの大木が空をおおい昼なお暗い。自然の森で気がつくのは、倒木が多いことだ。朽ち果てた倒木が道を被っていることもある。その倒木は、まるで緑色のビロードの布をかけたようにコケが一面を被っている。この上に、ルリビタキがとまったら絵になるなあと思ったら森の中からルリビタキの声が聞こえてきた。
 ルリビタキは「ヒュルヒュルヒュル・・・」と聞こえる柔らかい声で、抑揚があるので声が遠くなったり近くなったりして聞こえる。続いて、コマドリの声もよく聞こえる。コマドリは、名前が駒というと付いているように「ヒンカラカラ・・・」と馬のいななきのように元気がよい。
 ルリビタキは、名前のようにルリ色、コマドリはオレンジ色をしている。声も姿も美しい鳥だけに姿も拝んでみたい。ところが、声は森の中からさかんに聞こえてくるものの姿はチラッとも見せてくれない。クマザサの茂みをかき分けて、森に入ればその音ですぐに気がつかれてしまうだろう。それにもまして、暗い森の中に分ける入る気はおきない。
 その点、姿をよく姿を見せてくれたのは、メボソムシクイだ。この鳥はウグイスの仲間だけに声はよく聞こえるものの姿を見せることは少ない鳥なのだが、今日は違っていた。メボソの名前の由来となった目の上の眉のような白い線がよく見えた。そして、木の枝先にとまって「チョリチョリチョリ・・・」と連続して鳴く。これを「銭取り、銭取り」と聞きなして覚えるとすぐに覚えられる。
 しかし、あの坂道のことを考えてしまう。下るにあれだけ大変だったのだから、登ることを考えると気が重い。山男の義弟にしてみれば簡単なことのようで、今回は食料はもとより水も一滴も持ってないのだ。エネルギー配分を考えて歩かなくてはならない。

 歩けば歩くほど、森はより深くなり鳥の声はより多くなってきた。1時間ほどで、木々の間に青緑色の水面が見えてきた。切込湖である。道は、湖の上の斜面の上にあり、湖までは少し下らなくてはならない。喉は渇くしお腹は減るし、エネルギー温存のために湖は見下ろすだけにした。
 もう少し歩くと、もう一つの湖刈込湖が見えてくる。切込湖と刈込湖は、細い水路でつながっている。いずれも、少し高い斜面を通る道から湖を見下ろすことになる。一ヶ所、ベンチが置いてあり休むことができるが、あまり展望はきかない。この道ばたを見ると、クマガイソウが咲いているのを見つけた。先ほどから鳴いている鳥にヒガラが加わった。鳥と花が疲れを癒してくれる。
 今日は日曜日だが、夏休み前だけにそれほどハイカーはいない。ときおり数人のグループとすれ違う。以前、知人の教師が教えてくれたのだが、妙に年の違いのあるグループで、ファッションがダサければ教師だそうだ。追い越していくのもすれ違うのも、いずれも修学旅行の下見の教師のグループのようだ。地図とメモを見ながら時間を気にしながら歩いている。知人のいったことは、言い得ている。
 帰り道の亜高山帯の鳥は、さらにホシガラスのだみ声が加わった。声のする方を見ていると、立ち枯れて白い骨のようになった木々の間をふわふわと飛んでいった。思い出すまいと思っていた坂道の下に着いた。一休みをして登り始めた。登り切るとちょうど正午になっていた。行きより30分余計にかかっていた。疲れた。

松田道生
1995年7月 「理科の教育」日本理科教育学会

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