冬の奥日光

野鳥紀行の最初のページ

 しんと静まり返った森の中からは、「ジャー」というカケスのしゃがれた声がときおり聞こえてくる。あの夏のにぎわいが嘘のような静かな冬の戦場が原だ。日光市内から車で小1時間、赤沼に着き、ここから戦場が原を歩き始めた。冬とは思えない暖かく、風もない日だ。森を抜けて湿原に出る頃には、体が暖かくなって厚い羽毛服が邪魔に感じる。
 草原の植物は枯れ、一面キツネ色に染まっている。ところどころにあるシラカバの木も葉を落とし、幹の白さが際だって見える。ジョージ・ウェンストンの「ウインター」がバック音楽に似合う冬の風景だ。

 静かなだけに、木道を歩く自分の靴音がうるさい。鳥のささやくような声を聞きのがすまいと、いつのまにか忍び足になっている。ズミの潅木の林の中から、カラ類の群れの呼び交う声が聞こえてきた。木道に腰をおろし、じっとして群れの来るのを待つことにした。冬の食料の少ない時期だけに、食べ物を探すのに夢中になった鳥たちの群れが、案の上だんだん近づいてきた。パラパラと、木から木を渡ってくる。
 コガラの群れだ。シジュウカラより小さい彼らは、動きも早く、双眼鏡の視野に入れるのに苦労をする。「ツピン」と、跳ねるようなカラ類特有の声は、食べ物を見つけた喜びの声だろろうか。見ていると小さな食べ物をまるで見逃すまいとするかのように、枝から枝、幹から幹につぎつぎと渡っていく。ブッルと羽音を残して、1羽が行ったかと思うと、つぎの1羽がやって来る。見ているこちらも双眼鏡をあっちへ振ったりこっちへ振ったりして忙しい。まるで、コガラの動きが乗り移ってしまったかのようだ。

 「ギー、ギー」と木でも擦るような声がする、コゲラである。小さなキツツキのコゲラ。コガラの群れの中に入っている。いっしょにいる方が、食べ物を見つけやすいのだろう。
 コガラが木の枝先で主に食べ物を探すの対し、コゲラは太い幹をよじ登って探している。ときどき、木の幹を叩くコツコツという音が聞こえてくる。見ていると、幹を二本の足で抱え込み、長めの尾でずり落ちるのを防ぐかのようにしっかり止まっている。これで、幹をコツコツと叩く。コガラのせわしない動きの後に見ると、のんびりした感じさえもする。
 コガラも幹の表面をつつくこともあるが、足を木の皮に引っかけるだけので、ゆっくりとは止まってはいられない。ちょっと木の皮の裏をのぞいて、さっさと次の場所に行ってしまう。
 3点保持で、しっかり幹にとりついたコゲラが、幹での食べ物探しは有利なのだ。そのかわり、細い枝先は身の軽いコガラの食事場所になる。この群れの最後の方に、茶色の小鳥がいるのを見つけた。スズメより小さい。嘴が長く見える。コゲラのように木の幹に取り付いている。キバシリだ。キバシリはそんなに少ない鳥ではないが、会うのはこれが2回目。初めてのキバシリとの出会いも、この奥日光の光徳牧場だったことを思いだした。

 キバシリも食べ物を探すの夢中で、目の前のズミの木にやってきた。長い下にそった嘴で、木の皮の下を探っている。そこで越冬している昆虫や昆虫の卵をついばんでいるのだ。木の皮をはがす「パリン」という音が何度も聞こえた。
 キバシリをよく見ていると、コゲラと同じように木の幹をするする登っていく。そして、同じように木の幹に止まることができる。尾が短いので、コゲラのように3点保持にはならない。止まるのは、もっぱら足だけ。キバシリの姿は、可愛い割にどこか不格好なのだ。じっと見ていて、足が体に比べて大きいことに原因があることがわかった。コゲラのように、木の幹に垂直に止まるために、体に対し大きな足をしているのだ。尾がその役割をしない分、大きな足で補っているのだ。

 ひとしきり、小鳥たちの群れが過ぎ去ると、また湿原は元の静けさを取り戻した。私も腰を上げて、引き上げることにした。帰り道では、林の中からゴジュウカラの声が聞こえてきた。キツツキのような体の構造をしていないのに関わらず、ゴジュウカラもキバシリと同じように、木の幹で食べ物を採ることができる。キツツキの仲間やキバシリは、木の幹を下りるときは後退するだけだが、ゴジュウカラは頭を下にしてスルスルと下りることもできる。今日は姿を見ることができなかったが、今度はその辺の秘密をじっくり観察してみたい。

 何100人という人と狭い木道の上で、肩と肩を触れ合うかのようにとすれ違う夏の戦場が原。この日、すれ違った人は、わずか4人。ウグイスが大きな声でさえずり、ホオアカやノビタキが草原の上を飛び交う夏の戦場が原。一日に何10種類もの野鳥に会える。本日、出会った野鳥は、わずか6種類。でも、じっくりと野鳥たちの冬の生活をウォッチングすることができた。
 もうすぐ、雪がやってくるだろう。きびしい冬を過ごす小鳥たちの生活を、今度はクロスカントリースキーでウォッチングしにこよう。

松田道生
1993年12月 「理科の教育」日本理科教育学会

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